日本茶の可能性を追求する茶葉屋【GEN GEN AN 幻】
その周囲に集うさまざまなジャンルのプロフェッショナルとの茶実験談義「NEW TEA LAB」。第六回目は、2021年3月20日(土)に京都・開化堂カフェにて行われた「カイカドウ・ゲンゲンアン・ループウィラー」イベントより、「ループウィラー」鈴木さん、「開化堂」八木さん、「GEN GEN AN 幻」丸若の鼎談です。3社の共同開発で生まれた「通い茶筒」と「茶缶袋」、そして「職人フーディ」。茶筒作りと、吊り編みのスウェットづくり、そしてお茶づくりに共通する、日本ならではの「職人技術」と「文化」の継承について。
「通い缶」という文化
「開化堂」「Gen Gen An 幻」「ループウィラー」のコラボレーションで生まれた新たなプロダクトの1つである「通い茶筒」と「茶缶袋」の発端は、古くからある文化だった。「祖父の代までは、お茶屋さんにお茶筒を持っていくという『通い缶』という文化があったんです。自分の茶筒を持っていって、茶葉を入れてもらう。その文化が、今回のプロダクトの起点になりました」(八木さん)
「ずっと開化堂の茶筒を持ち運びできるケースが欲しかったんです。いつか何かで鈴木さんとご一緒したいと思っていて、これが実現できたら嬉しいな、と」(丸若)
令和元年の初日、思わぬ出会いをしたという鈴木さんと丸若。共通の知人を介して存在は知っていたものの、会うのはそのときが初めて。その後、同年7月に八木さんと鈴木さんが出会う。「最近は緑茶と茶香炉でお茶の香りにやられている」と笑う鈴木さん。「八木さんとは、仕事をするとは思っていなかったけれど、共通の趣味があったのですぐに近しくなったんです。年齢は離れているので、弟のような感じですね」(鈴木さん)
この出会いから1年半をかけて3人が頭を突き合わせた結果、「通い茶筒」「茶缶袋」が誕生する。「ただかわいいだけではないとすぐにわかるほど、完成度の高いものを仕上げて頂けた」(丸若)「入れる瞬間の心地よさがあります。ループウィラーのスウェットには何度となく袖に手を通していたので、同じように茶筒が袋に入っていくというのは、とても嬉しいな、と。出来上がってよかったな、と思いました」(八木さん)
「Tシャツをつくる工場のラインに全く別の形状のプロダクトのラインを入れるのはなかなか難しく、そういった仕事はすべて断っていたんです。でも、お二人からこのお話を聞いたとき、おそらく僕はお茶にやられていたんでしょうね(笑) やらなきゃな、と思ってしまって。また、八木さんから『通い缶』という文化を継承したいという想いを聞いて、とても共感しました。その文化自体は知らなかったのですが、文化的な営みを継承し、伝えることができたら良いな、と。僕らは20年間『吊り編み』という文化を作って広めていくためにスウェットをつくってきているので。」(鈴木さん)
日常の中の「豊かさ」を育むものをつくり続ける
「通い茶筒」と「茶缶袋」。この2つを作る中で、もうひとつのコラボレーションが生まれた。それが「現代の作務衣」としての「職人フーディ」。必然性のある、新しい概念をつくりたかったと八木さんは語る。
「2000年に開化堂に戻ってからずっと、作務衣を着ることへの抵抗があったんです。デパートにいくと必ず毛氈(もうせん)に作務衣という決まりきった格好を強いられる。普段茶筒をつくるときに作務衣を着ていないのに、衣装として着なければいけない。その矛盾がどうしても嫌で、途中から着なくなりました。ループウィラーのジップフーディを着たとき、フィットして動きやすく、首元をすっぽり包んでくれるジップは、寒かったら閉めて、暑かったら開けて、という温度調節ができて。そうだ、『フーディ』が現代の作務衣なんじゃないか、と思い、丸若さんに相談しました」(八木さん)
「『日常的に着る現代の作業着』としてフーディが良いと言ってくれたのはとても嬉しかったです。八木さんと丸若さん、2人がああしたい、こうしたいという要望をなんとか形にしました。」(鈴木さん)
特に開化堂のブランドマークである印章はかなり細かい刺繍になるので、出来上がりまではドキドキだったそうだが、そこは鈴木さんと30年以上付き合いのある職人さんの熟練技のおかげで繊細な仕上がりのワッペンができたという、こだわりの一着だ。
「まず、届いて嬉しかったのは、職人さんたちがみんな喜んでくれたということ。これに負けないものづくりをしようという気になりますね。」(八木さん)
「八木さんは、茶筒のある豊かさを、丸若さんは、お茶で人を気持ちよくしよう、ということを実践しているんだろうな、と思います。共通するのは、作り手に心があり、手にした人の気持ちがあがるものをつくり続けるということなんだと感じています。」(鈴木さん)
「新品のものを使い始めて、徐々に自分のものになってきたときには悦がある。その楽しみはとても贅沢なものだな、と感じます。開化堂の茶筒にも、ループウィラーのスウェットにも、その、育てる悦びという共通項がありますよね」(丸若)
職人技術の継承
「通い茶筒」に話を戻そう。今回新たに生まれた「通い茶筒」について。小ぶりなサイズの美しい茶筒の素材はブリキ。特別に作られた茶筒のこだわりはどこにあるのか。「開化堂の茶筒は全て経年変化と使用によって、色が変わってきます。銅の茶筒は割と早く、1~3年で変化が出てきて、真鍮がその次で5~8年ほどで変化します。真鍮は銅と亜鉛を混ぜてつくるので、黄色っぽくなるか、ピンクっぽくなるか、一点一点風合いが変わってきます。ブリキが一番長い時間をかけて色の変化が現れて、だいたい40年ほどかかります。実はブリキの素材には特に強くこだわりを持っているんです。明治の最初にイギリスから日本に輸入された当時のブリキの作り方を継承している会社が名古屋に一軒だけ残っていて。その会社にお願いして作ってもらった素材を使っています。ブリキは、使っていく中で明治からの製法(ドボ漬けのブリキ)により、すずの流れが途中見えてくるタイミングがあります。表面に見えているのがすでに錫の色です。それが経年変化と共に、電気メッキでは出て来ないドボ漬けのブリキ特有の錫の流れが出てきます。これは使ってみてのお楽しみですね。ブリキの茶筒は開化堂の原点であり、個人的にもとてもこだわりを持っていて一番好きな素材。なので今回はブリキを使うことを提案しました」
また、閉じたときの蓋と本体の比率が半々なのは今回が初めてだという。
「普段は、見ていて落ち着く『蓋:本体』が『4:6』のバランスで作ることが多いのですが、シンプルに、ちょうど中間に蓋の線がくる中継ぎの缶にトライしました。ぱっと見た感じは少し頭が大きく見える、でも、裏返しても同じに見える。そういったところも楽しみながら使っていただければ嬉しいですね。大きさもカバンに入れることを考えてコンパクトにつくりました。」
明治八年に創業した開化堂は、八木さんで6代目。146年続く歴史がある以上、100年前のものも修理に戻ってきます。裏を返せば、100年先にも修理に帰ってくるかもしれない。そのときに対応できるようにと考えながら、開化堂は「茶筒」というひとつのものを作り続けている。同じ技術で作られ続ける「茶筒」。ただ一口に「同じもの」と言っても、世の中の流れに応じて微妙に変化を繰り返し、その都度その都度のニーズに沿ったものづくりをしている、というのが実態だ。
「幹は変わらず、枝葉が変わる」八木さんの父・五代目八木聖二さんはそう語る。
「職人は、自分で失敗しないとわからない。困らないと上達しないんです。手足を取って教えても、教え手よりは上手にならない。教えてもらったことって忘れてしまうんですよ。逆に、自分で考えて得たものは忘れない。職人は体で感じるものなので。音ひとつ聞いたら、ちゃんと向き合っているかわかります。」(聖二さん)
「最初の5年間は『見て覚えろ』。それがすべてでした」と八木さんは語る。自分で試行錯誤をし、「ちょっとな」と言われたらその「ちょっと」をひたすら考える。海外でも日常的に開化堂の茶筒を使ってくれる人がいると知ったことがきっかけで、開化堂を継ぐ道を選択した八木さんを、五代目・聖二さんは文字通り背中で教えた。「人生は一回きりなので、好きなことをしたら良い。よう継がさんと思っていたけれど、勝手に戻ってきた(笑)。いろんなことを経験して、枝葉を伸ばせば良い」そう言って今の活動を見守る。
FORMULAにもMANUALにもなりえない日本の技
八木さんと五代目・聖二さんの親子の会話を聞いて、鈴木さんはこう語る。「『見て覚える』職人の技術は、日本の財産で失くしてはならないと私は思っています。私自身はアパレルをやっている意識はなく、あくまで吊り編み機で編まれたスウェットをどう残していくか、を考えていて。アメリカで仕事をしたときに、FORMULA(公式)やマニュアルといった形では残せないこの日本の職人技は、絶対に世界に負けないと思いました。マニュアルにできない技術をどうやって残すか。『失ってはいけない』技術を、『良いな』と感じさせる具体物にしてファンを増やしていくのが、3人共通の仕事ですね。私は年齢的に、着地をどうしようか考えてますが(笑)、2人はまだ40代、今からが目一杯やれる時期だと思います」
人から人へ、言葉ではなく体全体、五感すべてを使って覚える技術。それは、「茶筒」も「茶」も「スウェット」も同じ。「ものづくり自体が人生のプロセス」(丸若)と捉えながら、小手先でないものづくりへの向き合いによって生まれたプロダクトは、特別な想いを持って、文化の継承の一端を担うべく生み出された。
「通い茶筒」「茶缶袋」、そして、現代の作務衣である「職人フーディ」。三者三様の技術と視点が紡いだプロダクトは、受け継がれるべき文化とここから新たに生み出される文化の結び目となる。
Edit & Text:Kana Takeyama(PARK 365)